フォン・ノイマン
別名:ジョン・フォン・ノイマン,ナイマン・ヤーノシュ
【英】John von Neumann, Margittai Neumann Janos Lajos
フォン・ノイマンとは、ハンガリー出身の数学者・物理学者・経済学者である。1903年12月28日、オーストリア=ハンガリー帝国ブタペスト生まれ。現在採用されているパソコンの基本的構造である、「ノイマン型コンピュータ」と称される設計を考案した人物として知られている。1957年2月8日没。
第2次世界大戦中のマンハッタン計画に参加した際、ノイマンは爆縮レンズの開発に従事し、爆薬を32面体に配置することによって効率的な核爆弾が製造できることを導き出した。原子爆弾を爆発させるべき高度も導く計算も行った。これらを演算によって導き出すには10ヶ月に渡る計算を要したが、この際にノイマンは高速計算の必要性を痛感して、電子計算機の開発に取り組むようになったといわれている。
フォン・ノイマンはENIACに次ぐコンピュータ開発プロジェクトであるEDVACに設計段階から参加し、1945年「EDVACに関する報告書第一稿」でにおいてプログラム内蔵方式コンピュータの概念と情報処理の構造を発表した。この報告書はノイマンの名で発表されているが、実際には、EDVAC開発チームの創案によるものであり、発想を実用化に導いた功績はノイマンにあるものの、決して彼個人の独創ではなかったと指摘されている。
翌1946年、バークスやゴールドスタインとの連名で「電子計算機の論理設計の予備的討論」 と題された報告書が発表された。この報告書にはコンピュータ設計の基本が明確に論じられており、 以後これが教科書のように用いられることとなる。今日のコンピュータ設計においては、そこで論じられている設計がノイマン型アーキテクチャとして常に基本に据えられている。
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またノイマンは複数の分野で活躍した鬼才としても知られている。純粋数学においては、集合論や測度論、エルゴード理論、また量子力学の数学的基礎付けが功績として挙げられる。自己増殖オートマトンの考案によるゲーム理論も発明した(ゲーム理論おいて経済学者モルゲンシュテルンと共著した論文「ゲームと経済行動の理論」は、後の経済学界に多大な影響を与えている)。政治的にはタカ派であり、ソ連への核攻撃を強く主張していたという。
【略歴】
1921年、ブタペスト大学に入学、数学を専攻する。
1923年、スイス連邦工科大学に入学し、化学工学を修める。1925年化学工学で学位を取得。 1926年、ブタペスト大学から数学の博士号を授与される。
1930年、プリンストン大学の講師に招かれて移籍し、翌年教授に就任。
1933年、ブタペスト大学の高等研究所の終身研究者となり、アメリカに移住。
1937年、米国の市民権を取得。
1954年、米国原子力委員に就任。
1957年、ワシントンにおいてガンのため死去。享年54歳であった。
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