田中久重
読み方:たなかひさしげ
別名:からくり儀右衛門
田中久重とは、株式会社東芝の創始者である。1799年(寛政11年)9月18日生まれ。「弓曳童子」をはじめとする、精巧な「からくり」を多数案出した発明家としても有名である。1881年11月7日没。
田中久重は、筑後の久留米でべっこう細工師の長男として生まれた。幼い時分よりからくり仕掛けに興味を抱いて、いくつもの作品を作り上げては皆に披露していた。その評判は高く、近所からは「からくり儀右衛門」と呼ばれていたという。
からくり人形のとりことなった田中久重は、家業のべっこう細工を弟に任せ、25歳にして技術修行のため筑後を去る。諸国を訪ねながら、西洋渡来の技術知識を吸収した。そして京都に至ると、まもなく「機巧堂」を開店。からくり細工の製造・販売を営んだ。「無尽灯」「雲竜水」「懐中燭台」といった意匠の数々はたちまち評判になる。中でも1851年に制作された「万年時計」は、和時計の最高傑作ならびに江戸時代の技術の精華として名高い。(万年時計は現在、国立科学博物館に保存されている。)
1853年(嘉永6年)、ペリーが来航した年には、佐賀藩に「精煉方」として仕官していた。蒸気船や蒸気機関車、あるいは電信機のモデルを製作するなど、最先端技術に基づく数々の製品の制作に携わった。
75歳の時、田中久重は政府の要請を受けて東京に移る。銀座に電信機などのメーカーとして「田中製作所」を開いた。これが、現在の東芝の前進となる。製作所の看板には「万般の機械考案の依頼に応ず」を書かれていたという。田中製作所において久重は、電信機や時報機などの機器を次々と開発し、日本のエレクトロニクス分野に光明を開いた。田中製作所は後に「芝浦製作所」と改称。さらに後には東芝と改称した。東芝は、設立からすでに130年を経た現在も、日本のエレクトロニクス産業におけるトップメーカーとして業界を牽引している。
(更新:2006年1月)
参照リンク
東芝
からくり儀右衛門の発明人生 - 田中久重ものがたり - (TOSHIBA SPIRIT)
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